フィリピンで鯛焼き

ginte2_davashu_12_28_2012
先日、料理器具の専門店を覗いたら・・・・鯛焼きの機械があった~! ぐるぐる廻って焼ける仕組みのようだ。よく観ると・・・鯛の顔もホッソリとしてる。ここでは鯛=スキッパーはマヤマヤと呼んでいて日本で見かける鯛と比べると顔がしゅっとして細い種類。したがって・・・この機械は間違いなく日本の物ではない。でも、日本以外でも鯛焼きの機械が作られるほどの“鯛焼き需要”が有る・・・と、いう事・・・? 今後も調査して行きたい。

ダバシュー

シェラネバダ(High Sierra)


クリスマス休暇は北加シェラネバダ山系のマンモスにスキーに行って来ました。Boz Scaggsの”Sierra”を鼻唄しながらシェラネバダの大自然を満喫してきました。

今年も”High Sierra”はこの身に休息と筋肉痛を与え、しばし浮き世の煩いから解き放ってくれました。

ヨシオ

Boz Scaggs | Sierra

utf-8''IMG_2301

クリスマスに祈る

ginte1_davalos_12_18_2012
フィリピンのミンダナオ島に住んでる私。

先日、台風がミンダナオ島を直撃した時にはロスのヨシオさんをはじめ世界中、沢山の方々からご心配頂ありがとうございました。

私たちは無事でしたが、多くの人が亡くなり、多くの家族が被災しました。今も懸命に支援を送ってます。

ここ、フィリピンのみならず・・・同じ国の民族同士の争いがあったり、目に見えない放射能の危険にさらされたり・・・。我々の進むべき道が分からなくなってきそうです。

世界規模の気候変動はどうなっていくのでしょう。でも、我々、花も草も我々動物もこの星で一緒に暮らして行くのですよね。今よりも少しでも皆で暮らし安くなるように・・・

南の島からクリスマスに祈ります。みなさん、メリークリスマス!

ダバシュー本田

三浦光紀監修 ベルウッド 全40タイトル完全限定プレス

三浦光紀_銀河鉄道

7月の下北沢ラカーニャでのライブに三浦光紀さんが来て下さった時に話されていた、三浦さんが総監修を務めた”Bellwood 40th Anniversary Collection” <40周年特別企画 紙ジャケコレクション>の記事がスマホ版の産経新聞に掲載されていました。

銀河鉄道解散後に渡米して10年後、僕は日本の某レコード会社のロサンゼルス支社に勤務していました。

その頃、三浦さんは僕の直属の上司で三浦さんがロサンゼルスに出張される時は常に通訳として同行していました。

様々な制作現場で三浦流のプロデュースの「いろは」を学ばせて頂きましたが、

「マキ君、プロデュースの基本は適材適所。すべて自分が選んだ人材で決まるんだよ。これさえ間違わなければ90%のプロジェクトは黙っていても成功する。」

この三浦さんのお言葉を規範として、今も音楽と映像制作の仕事を続けています。

昭和世代のフォーク・ロック好きなら必ず一家に最低5〜6枚はある70年代のベルウッド・レコード音源ですが、この三浦さん監修の全40タイトル完全限定プレス盤を大人買いしてみたい衝動にかられます。

ヨシオ

Photo © SANKEI DIGITAl.INC.

佐藤博さんの月命日

佐藤博 | 銀河鉄道 2

10月24日に佐藤博さんが亡くなって1ヶ月。あんなにお元気だったのに、もう会えないなんて、今でもまだ信じられません。

僕が佐藤さんと出会ったのは、19才の時、銀河鉄道の2ndアルバムのレコーディングでした。佐藤さんがこのアルバムのサウンドプロデュース、アレンジ、キーボード、コーラスを担当して下さいました。濃密で特殊な時間で僕の大切な思い出です。

確か目黒駅だったと思います。明け方までかかったレコーディングの帰り、朝陽をバックにベンチに腰掛けて、大きなヘッドフォンをつけた佐藤さんのシルエットがどこまでもかっこよかったんです。

その後、僕は音楽とは別の道に進んだので、佐藤さんとも音信不通のままでした。70年代後期にアメリカに移住した銀河鉄道の牧(ヨシオ・J・マキ)と佐藤さんはずっと親交が続いていて、去年のGINTE2の里帰りライブで来日した時に誘ってくれて、佐藤さんと30数年振りに再会を果たしたのです。(写真はそのときのものです。)

京都育ちの佐藤さんの口に合うようにと選んだ永福町の割烹屋さんで過ごした夜は、写真の笑顔のように本当に楽しく、30数年の空白を埋めてくれて余りある時間となりました。

今年のGINTE2の里帰りライブは夏にあり、7月末のある日、去年に引き続き佐藤さんと牧と友人とで会食の時間を持つことができました。この日は、普段あまり呑まないという佐藤さんは赤ワインを呑み、柔らかな口調ながら、音楽のことはもちろん、死生観まで熱っぽく語り、多いに刺激を受け、励みにもなりました。この日をきっかけにFB友達になっていただき、時々、メッセージの交換などが始まりました。僕にとっては佐藤さんのような有名人とのやりとりはちょっとした自慢になりました。

” Happy Birthday !!! 林君! \=⌒▽⌒=/ いつもありがとう~!~ 

そして、今年の10月12日、僕の誕生日には次のようなお祝いメッセージが届き、年甲斐もなくメチャクチャ嬉しかったのです。まさか、この12日後に亡くなってしまうなんて……..。来年のGINTE2の里帰りライブでのゲスト出演も楽しみにいていたのに…….. 

佐藤さんの月命日にあたり、改めて心からご冥福をお祈り致します。

林裕之(元銀鉄ロードマネージャー兼作詞担当/a.k.a.寅)

警告:当ブログ内に掲載されているすべての文章、画像の無断転載、転用を禁止します。すべての内容はアメリカ合衆国憲法修正第1条、アメリカ合衆国及び日本国の著作権法並びに国際条約により保護されています。

リコーダーコンテスト 2012


7月にGINTE2里帰りライブで日本に行った後、帰ってきて直ぐ取り掛かったリコーダーコンテストのトレーニング。みんなで頑張った甲斐があって高校生部門で優勝~!小学生部門で2位~! 良かった、良かった。この写真は小学生たちの最終練習日。ワタシの関わる現地NGOファンデーションのホールで練習した時のもの。コンテストは真剣勝負だけど、子供たちのリラックス度はデラックス! まずは・・・音楽を楽しむ事が一番最初で一番大事・・・っと、教えられました~。 ありがと!

ダバシュー

佐藤博さん、ありがとうございました

 

銀河鉄道ミルキーウェイ

フィリピン、ミンダナオ島の自宅で佐藤博さんの訃報を聞きました。1975年に録音した「銀河鉄道」の2枚目のアルバムで大変お世話になりました。

僕らの出す音を聴きながら“時には足して、時には引いて”素晴らしいサポートをして下さった佐藤さん。

ハープの松田幸一さんやサックスの村岡健さん、ベースの稲葉国光さんらと共にアレンジ面でもキーボード奏者としても支えて下さった。

あれから何十年・・・お礼も言えないまま・・・・。 天国でまた音楽を作って下さい。

ダバシュー・本田


佐藤博 | 秘密のアルバム

カリフォルニア時間の先週金曜日の午後、佐藤博さんの訃報に接しました。ビバリーヒルズでの打ち合せの帰りで、ショックのあまり車のハンドルを持つ手の震えが止まりませんでした。

高校3年生の時に下北沢の大ちゃんのアパートで佐藤さんと初めて出会った時の衝撃・・・

1980年代初めノースハリウッドの佐藤さんの自宅スタジオに毎日入り浸って、様々な事を教えて頂いたあの頃・・・

生まれたばかりのうちの子(わさ坊) を抱っこしている佐藤さんの写真・・・・

ロスの佐藤さんのレコーディングには必ず制作スタッフとして声をかけてくれた佐藤さん、その思い出深い・・・ 等等。

この週末は独り静まって、2011年、佐藤さんがシングルをiTunesでリリースした時に「牧君にはええ音のほうをあげるね!」と、佐藤さんが直々に焼いてくれたオリジナルCDを拝聴しながら、佐藤さんとの40年にも及ぶ、音楽、仕事、うちの家族との思い出に浸って過ごしていました。

佐藤博 | 銀河鉄道

今年7月末に佐藤さんと原宿(東京)で会食をした時の写真です。(左から:寅さん、佐藤さん、不肖Yoshio、鈴木氏) この中では一番年輩でしたが、一番若々しく、健康体でした。 

来年はロスにも行きたいと言っていたし、GINTE2(銀河鉄道)の里帰りライブにもゲスト参加して頂く事になっていました。

佐藤博プロデュース銀河鉄道の「ウイスキー・ブルー」のハーモニー再共演の夢も叶うことなく、本当に残念で、寂しくて、悲しくて仕方ありません。

佐藤さん、ありがとうございました。

ヨシオ・J・マキ

警告:当ブログ内に掲載されているすべての文章、画像の無断転載、転用を禁止します。すべての内容はアメリカ合衆国憲法修正第1条、アメリカ合衆国及び日本国の著作権法並びに国際条約により保護されています。