岸壁の母とジェームス・テイラーの関係・・

先日テレビの「サワコの朝」を観ていたら歌手の研ナオコさんの好きな歌が紹介されていました。それはなんと二葉百合子さんの「岸壁の母」で、聞くたびに泣いてしまうんだとか。実際、VTRで流れると本当に泣いていました。

岸壁の母(がんぺきのはは)とは、第二次世界大戦後、ソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親をマスコミ等が取り上げた呼称。その一人である端野いせをモデルとして流行歌の楽曲、映画作品のタイトルともなった。 Wikipedia

息子の帰りを待つ母親の切ない心情を歌った「岸壁の母」の原曲は1954年(昭和29年)発売で、研ナオコさんの好きな二葉百合子さんの「岸壁の母」はリメイクで1972年(昭和46年)発売されたものです。

研ナオコさんと「岸壁の母」の取り合わせもかなり意外だったのですが、それにも増して僕の胸に妙な違和感が広がったんです。

それはテロップに流れたこの歌の発売年の”1972年”の文字。1972年(昭和47年)といえば僕は16歳。洋楽に夢中で日本の音楽、特に演歌系は興味がなかったというより嫌いだったはずなのに、この「岸壁の母」はよ〜く覚えているのです。

岸壁の母 – 二葉百合子

ロック少年の心に「岸壁の母」が残ったワケ

「岸壁の母」は大ヒットしたので否応なく聞く機会が多くって覚えていたのじゃなく、歌われている心情や背景が理解できるから、他の歌のように好き嫌いで済ませられない重さみたいなものが宿っているからだと思うんです。

僕らは戦後生まれで、いわゆる戦争を知らずに育った世代ですが、親は戦争体験のある世代です。僕の父も戦争に行って台湾で敗戦を迎えた引き上げ組で、母は死者10万人以上、罹災者100万人以上の東京大空襲を15歳の時に体験しました。親世代は良くも悪くも戦時下の軍隊や軍国主義で青春を送った世代です。

そのせいだと思うのですが、昭和20年8月15日に戦争は終わり、民主国家にガラリと生まれ変わったとはいえ、社会の価値観や風潮には軍国主義や軍隊式が色濃く残っていました。

僕らが生まれた1956年(昭和31年)は敗戦からさらに11年が過ぎ、戦後の混乱も克服し「もはや戦後ではない」と言われた時代ですが、それでも小学、中学時代も一部ではあっても先生が生徒を当たり前のように殴ったり、ひとりのミスもクラス全員で責任とる連帯責任(全体責任)など、どう考えても理不尽な軍隊式教育の影響は残っていました。

言い方を変えれば、岸壁の母の心情を理解する土壌で育ったんです。

一方その頃の僕は、ビートルズからレッド・ツェッペリンのロックにズッポリ浸りきり、岸壁の母のヒットした年にヨシオさんの持ってきたジェームス・テイラーのレコードから流れる歌声とアコースティックサウンドに衝撃を受け、それ以後ジャンルを問わない洋楽と、はっぴいえんどなどの日本語ロック、Gパンに代表される戦勝国のアメリカ文化に深く傾倒していったのです。

岸壁の母とジェームス・テイラーこの両極とも言える音楽を同じ年に受け入れていたことに、我ながら改めて驚いたのです。

敗戦から73年の夏に振り返った違和感満載の1972年は、岸壁の母とジェームス・テイラーが混在した不思議で多感な時代でした。

James Taylor – Fire and Rain, Live 1970

寅(a.k.a.林裕之)


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