GINTE2「いつの日か」CD 制作ノート

 銀河鉄道 日比谷野音

1970年代、アメリカの田舎者の歌に憧れた高校生たちが結成したフォークバンドがありました。 のちに、伝説の高校生バンドと言われることになる「銀河鉄道」です。

1975年、2枚のアルバムをレコーディングし、1stアルバムと2枚のシングルが発売されました。ところが2ndアルバムになるはずだった「Milky Way」は未発売のまま、翌1976年、銀河鉄道は突然解散してしまいます。

その後、 牧良夫(ヨシオ・J・マキ)は渡米。後に欧米レコード会社のプロデューサー/作編曲家として活動し、アメリカに帰化します。

本田修二(ダバシュー)は、スタジオやセレブアーティストのバックギタリストとして活動後、一時音楽活動を休止。フィリピンのミンダナオ島ダバオに移住し、現地の子どもたちに音楽を教えていました。

2001年、銀河鉄道のファーストアルバム「銀河鉄道」(徳間ジャパン)と「ミルキーウェイ」(ミディ)の復刻盤アルバムリリースを機に、ダバシューとヨシオ・J・マキの親交が再び始まりました。

その親交をより深めたもの、それは二人それぞれが運営するブログでした。実に30年という月日が流れていました。

「ふたりで作品を作ってみようよ」ブログ、オンライン上で交わされる会話の中に、そんな話が出始めた頃、ヨシオ・J・マキはダバシューに一通のメー ルを送ります。「ダバシュー&ヨシオのデュオアルバム制作を本気でやる気ありますか?もしもその気があるのなら・・・」そこにはプロデューサーらしく、 しっかりとスケジュールが示されていました。2005年11月のことです。

ダバシューに躊躇がなかったと言うと嘘になります。けれど、自分たちがいろんな人たちの歌に支えられてきたように、一生に一曲だけでもいいから誰か のためになる歌をつくりたいという気持ちもまた真実でした。当時の音楽仲間や家族の後押しにも力を得て、ダバシューは、やってみる意志をヨシオ・J・マキ に伝えます。

ふたりのシンガーソングライターによるアルバム制作「GINTE2プロジェクト」が、こうして始まりました。

GINTE2 2010_1

しかし、本当の意味で「GINTE2プロジェクト」が動き出したのは、アルバムに収録されている「12月の鐘」がヨシオ・J・マキのもとに届けられ た時からでした。

懐かしいダバシューの弾き語りで受信した「12月の鐘」。30年の時を経て受け取った最初の一曲は、感動と共にアルバム制作への深い自信 となりました。

お互いの思いを確認した2005年11月からちょうど1年。ダバシューとヨシオ・J・マキの往年のメンターであり、高校生バンド「銀河鉄道」の元 ディレクター/プロデューサーの大蔵博のプロデュースで、ロサンゼルス在住のワールドクラスミュージシャンの参加によりGINTE2ファーストアルバム 「いつの日か」が完成いたしました。

壮年世代アーティストの先駆けとして、昔を懐かしむというのでもなく、また、高校生バンド「銀河鉄道」でもない。老若男女に共感と郷愁を分かち合える’GINTE2’サウンド がここにあります。

本田 眞由美


GINTE2「いつの日か」CDカバーGINTE2 – ファーストアルバム「いつの日か」 (MDCL-1476)

70年代の高校生フォークロックバンド銀河鉄道が30年ぶりに再結成。銀河鉄道のダバシュー(本田修二)とヨシオ・J・マキ(牧良夫)が結成したデュオユニット GINTE2(ギンテツ)待望のファーストアルバム「いつの日か」。

【制作ノート】 【楽曲について】 【参加ミュージシャン】

Posted by GINTE2